この記事とは別に、全く同じタイトルで4本に分けて、amebloのブログで「アメンバー限定記事」を投稿した。
限定公開記事【許すとは?】憎しみを手放す(1)【過去のトラウマ】
限定公開記事【許すとは?】憎しみを手放す(2)【過去のトラウマ】
限定公開記事【許すとは?】憎しみを手放す(3)【過去のトラウマ】
限定公開記事【許すとは?】憎しみを手放す(4)【過去のトラウマ】
それらを読むためには下記のような手順が必要になる。
〜限定記事を読むには〜
(1)アメブロの会員登録をする(無料だし、登録だけでブログを書かなくてもOK)
(2)読みたい記事のページで、「アメンバーになる」をクリックする
(3)アメンバー申請のページに飛んだら、緑色の「アメンバー申請をする」をクリックする
(4) 一度承認が降りたら、私の全ての限定記事がいつでも申請なしで読めるようになる
わざわざこんな手間をかけてまで、私の「限定記事」を読む人はいないだろうと思っている。
(だって「面倒臭い」でしょ?)
じゃあ、なぜ「限定」にしたのか。
タイトルから想像できるように、トラウマに関する破壊的なキーワードが多く出てくるから。
可能な限り「ソフト」な表現を心がけたつもりだが、似たような経験をした人が読んだら、思い出して気分が悪くなる可能性がある。
そして、家族がうっかり読んでしまったらショックを受けるだろう⋯という事情もある😵💫
「読まれない記事」は書く意味がないのか。
たとえ誰も読まなかったとしても、「言えなかった過去の出来事」を涙ひとつ流さずに書けたことは、私にとっては「大きな一歩」になった。
そして、ひょっとすると手間をかけてでも「何かのヒントにしたい」と思ってくださる方が現れる可能性もなきにしもあらず⋯(にあらずかな)。
・過去に許せない人物が2人いた
・1人は小学校時代の担任教師
・もう1人は自分の父親
・ある出来事が人生に与えた影響
・自殺願望と憎悪感と呪縛地獄
・大切な本音と共感と信念
・意外な成り行きと感情の変化
・許すとは?(許さないとダメ?)
結論を先に言うと、過去に2人の人物に対して抱き続けていた「憎悪」の感情からは解放された。その経験から学んだことは大きい。
時間はかかったけど、ごく自然な成り行きで、すっきりと手放すことになっただけ⋯。
それは一般的に言われている「許す」という表現とは別のものだった。
ほとんどの人が、多かれ少なかれ幼少時の「心の傷」を抱えて生きている。
それは他人と「比較」できるものではない。以前書いた「幸せの定義」と同様に⋯。
そもそもトラウマは「世の中の標準との比較」からスタートしているのではないだろうか。
あるいは自分がこんな目に遭っているのは、「何か罪を犯した罰としてなのだろうか?」と考えるのも危険だ。
そんな『罠(ワナ)』に引っかかって欲しくない。
心の傷を癒す解決方法は、その人にとって最も腑に落ちるような「最適な道」が用意されるように思う。
自分でも気づいていないような、心の奥底にある「強く信じている希望的な何か」が作動するのかもしれない。
だから私の経験も、人類にとっては一つの「サンプル」にすぎない。
闇を晴らし、あなたの残された時間を大切にほしい。
本来の魂そのままに、生き生きと輝けますように。
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