【許すとは?】憎しみを手放す【過去のトラウマ】



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わざわざこんな手間をかけてまで、私の「限定記事」を読む人はいないだろうと思っている。

(だって「面倒臭い」でしょ?)


じゃあ、なぜ「限定」にしたのか。

タイトルから想像できるように、トラウマに関する破壊的なキーワードが多く出てくるから。


可能な限り「ソフト」な表現を心がけたつもりだが、似たような経験をした人が読んだら、思い出して気分が悪くなる可能性がある。


そして、家族がうっかり読んでしまったらショックを受けるだろう⋯という事情もある😵‍💫


「読まれない記事」は書く意味がないのか。


たとえ誰も読まなかったとしても、「言えなかった過去の出来事」を涙ひとつ流さずに書けたことは、私にとっては「大きな一歩」になった。


そして、ひょっとすると手間をかけてでも「何かのヒントにしたい」と思ってくださる方が現れる可能性もなきにしもあらず⋯(にあらずかな)。





・過去に許せない人物が2人いた

・1人は小学校時代の担任教師

・もう1人は自分の父親

・ある出来事が人生に与えた影響

・自殺願望と憎悪感と呪縛地獄

・大切な本音と共感と信念

・意外な成り行きと感情の変化

・許すとは?(許さないとダメ?)


結論を先に言うと、過去に2人の人物に対して抱き続けていた「憎悪」の感情からは解放された。その経験から学んだことは大きい。


時間はかかったけど、ごく自然な成り行きで、すっきりと手放すことになっただけ⋯。


それは一般的に言われている「許す」という表現とは別のものだった。


ほとんどの人が、多かれ少なかれ幼少時の「心の傷」を抱えて生きている。


それは他人と「比較」できるものではない。以前書いた「幸せの定義」と同様に⋯。


そもそもトラウマは「世の中の標準との比較」からスタートしているのではないだろうか。


あるいは自分がこんな目に遭っているのは、「何か罪を犯した罰としてなのだろうか?」と考えるのも危険だ。


そんな『罠(ワナ)』に引っかかって欲しくない。


心の傷を癒す解決方法は、その人にとって最も腑に落ちるような「最適な道」が用意されるように思う。


自分でも気づいていないような、心の奥底にある「強く信じている希望的な何か」が作動するのかもしれない。


だから私の経験も、人類にとっては一つの「サンプル」にすぎない。


闇を晴らし、あなたの残された時間を大切にほしい。

本来の魂そのままに、生き生きと輝けますように。



迷走記 〜人生は選択の連続〜

理不尽な世の中に対する少数派の心情/人生の転機に思うこと/自己治癒力を信じる/神戸周辺の歴史的建造物や史跡など

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